
雨の日と、憂鬱な朝、しかし少しずつ春のの芽時の暖かさに少し気分が癒やされる。 休日の朝は気持ちが少し穏やかでリラックスできる。 愛器である、茶木をギタースタンドから取り、いつもの朝のルーティーンとなっている、基礎練習を嗜む、一通りレパートリーを爪弾いて行くのだ。 ジャズのスタンダード、ブルース、誰にも気を使わず集中する一人の時間、とても心が充実する、一時だ。
窓辺から見える景色は、霞んだ雨の風景。水滴が窓ガラスを伝い落ちる様子は、どこか詩的でさえある。そんな朝の静寂を背景に、指先から生まれる音の連なりが部屋に満ちていく。
茶木のギターは、長年の付き合いで私の手に馴染み、その音色は年を経るごとに深みを増している。弦に触れるたび、木材が持つ温もりが指先から全身へと広がっていく感覚。これほど親密な関係性を楽器と築けることが、音楽を奏でる喜びの一つなのかもしれない。
朝の練習はいつも基礎から始まる。単調に思えるかもしれないが、指が弦の上を滑るように動き始めると、それはむしろ瞑想のようだ。心地よい緊張感と集中力が体を包み込み、世界は私とギターだけの空間へと変わっていく。
ジャズのスタンダードナンバーを奏でると、部屋の空気も変わる。「Autumn Leaves」の旋律が指先から溢れ出すと、窓の外の雨空にも温かな色彩が宿るような錯覚を覚える。続いてブルースのフレーズへと移る。単純な12小節の中に込められた深い感情表現は、言葉では言い表せない何かを解放してくれる。
誰かに聴かせるためでもなく、完璧な演奏を目指すわけでもない。この時間は、ただ自分自身と音楽との対話の時間。日常の小さな悩みや焦りは、音符とともに溶けていき、心はだんだんと軽くなっていく。
指が少し疲れて休憩する間、湯気の立つ珈琲を一口。窓の外では、雨がやや弱まり、雲の隙間から微かな日差しが漏れ始めている。木々の芽吹きが、雨に濡れて一層鮮やかに見える。四季の移ろいを感じながら、また弦に触れる。
次は少し挑戦的な曲へ。つい最近覚えたばかりの新しいフレーズに挑戦する。うまく弾けない部分があっても、それすらも楽しみの一部。失敗を恐れず、何度も繰り返し試みるこの過程にこそ、上達する喜びがある。
時折、即興のメロディーを紡ぎ出すこともある。計画されていない音の連なりは、時に思いがけない美しさを持つ。それは雨粒が偶然に描き出す窓ガラスの模様のように、一期一会の表情を見せる。
外の世界の喧騒から離れ、この小さな部屋の中で、指先から広がる音の世界を旅する。それは日常から少し離れた、特別な時間の流れ。しかし、この孤独な時間が、逆説的に他者とつながる音楽への理解を深めてくれるのだ。
やがて時計が昼を告げる頃、最後の音が部屋に響き渡る。満ち足りた充実感とともに、ギターを静かにスタンドに戻す。雨はすっかり上がり、春の陽光が窓から差し込んでいる。
心が整い、新たなエネルギーが体内に満ちている感覚。雨の朝から始まった一人の音楽の時間は、こうして静かに終わりを告げる。しかし、指先に残る弦の感触と、心に残る音の記憶は、これから始まる一日の中でも私を支え続けてくれるだろう。
気分が赴く時には昼食後にも再び茶木を手に取る、「今日は調子がいいぞ!」1人ごとをつぶやきながら少し笑みが溢れる。私の音楽との対話はまだ終わらない。午前中とは少し違う、より深まった音色が指先から溢れ出す気がする。
午後の陽射しは雨上がりの空気を黄金色に染め、部屋の隅々まで柔らかな光が届いている。この光の中で、ギターの木目が一層美しく浮かび上がる。茶色の木肌には、幾年もの演奏の記憶が刻まれているようだ。傷一つ一つにも物語がある。
今度は少し実験的なアプローチで演奏してみる。普段とは違うチューニング、開放弦の響きを活かした奏法。ボトルネックに小指を差し込みスライドギターを奏でる。気怠い旋律や、パワフルな響き、そしてマイナーコードからの展開に、心が揺さぶられる。技術的には完璧ではないかもしれないが、その不完全さの中にこそ、人間らしい温もりがあるのではないかと思う。
演奏しながら、ふと窓の外に目をやると、庭の木々が風に揺れている。その姿が私の即興演奏のインスピレーションとなり、指の動きに反映される。自然と音楽の対話、これもまた心を豊かにする要素だ。
時には思考が音楽から離れ、日常の記憶や未来への期待へと飛んでいく。それでも指は弦の上を踊り続け、無意識の領域から湧き上がる感情が音となって表現される。このような瞬間にこそ、最も自分らしい音楽が生まれるのかもしれない。
愛器との時間は、自己との対話の時間でもある。静かな部屋の中で響く音は、自分自身の内面を映し出す鏡のよう。今日の私はどんな音色を持っているのか、どんなリズムを刻んでいるのか。
夕暮れが近づき、部屋の光が徐々に橙色に変わっていく。その光の変化とともに、私の演奏も静かな終わりへと向かう。最後は穏やかなアルペジオで締めくくり、弦の余韻が部屋に満ちる。
茶木をギタースタンドに戻し、柔らかな布で優しく拭き上げる。この儀式的な動作にも、感謝の気持ちが込められている。また明日、新たな音楽の旅へと誘ってくれることへの期待を胸に。
窓を開け、夕方の新鮮な空気を部屋に招き入れる。雨上がりの空気は格別に清々しい。深呼吸をしながら思う。日々の小さな幸せ、それは愛するものと向き合う時間の中にこそあるのだと。